子どものころのからだのよわさはせいしんのよわさからきていたとおもう。
いっつもへんとうせんをはらして、目があついとうったえて、他のものがたべられないからむいてもらったリンゴばかりたべて、
教育テレビをみて、胸にたっぷりヴィックスヴェポラップをぬられて、夜ぜんそくがでて、ねむれなくて、
背中のところを高くしてもねむれなくて、正座してねていた。

よわさというより甘えか。甘えたさか。
だからか、小児科に行って、診断されるまで、うそをついている気持ちだったし、
いつかうそをついていることがばれるのではないかとおそれていた。ばれてしまいたい気持ちもあったとおもう。
罪の意識から解放されて楽になりたかった。
小児科の先生は子どもにはやさしいけど、お母さんにはきびしかった。よく他のお母さんが先生におこられて泣いていた。
うちのお母さんは泣いてなかったとおもう。

おねしょがなおって、ぜったいわたしには耐えられない、むりだとおもった(死という概念があったら、死と表現したにちがいない)小学校は、
あんがい平気で、勉強だけが楽しくて、勉強と先生にしか興味がなくて、誰よりもはやく登校した。

ぜんそくがなおって、へんとうせんもめったにはれなくなって、自分以外の、特に年がちかい人間の存在に気づいて、ときどき学校をやすんで、
勉強に興味がなくなって、テレビばかりみて、生理がきて、英語塾をさぼって、隣の席の男子が好きになって、転校して、
深夜ラジオをききすぎてラジカセをかくされて、中学生になった。

国語の教科書に北杜夫の「百蛾譜」がのっていた。
からだのよわい少年とその夢の話で、わたしはこれを読んだから、子どものころに親しみを抱くことができるようになったのかもしれない。

わたしは(も)病気に親しみを抱いていた。






風邪をぶりかえして寝込んでます。まあそんな時期なんだろうとおもうが、きょうオープンマイクにエントリーしていたのに、
キャンセルしてしまったので、そんな時期なんだろうじゃないだろうともおもう。
出会いとか、期待とか、ひとつふたつみっつ消えちゃったなあとおもったり、くやしい。
もしわたしに会いたい人がいてくださったら、それ、ごめんなさい。

治ったら、ちゃんとノートに書きたい。これからのこととか、言葉にしていないことをたくさんノートに書きたい。

きくちかなこちゃん優勝おめでとう。
モリマサ前をむいていて、まぶしい感じした。おたんじょうびおめでとう。