カテゴリ: 思い出

私はロイヤルブルーのセーラー服を着ていて先生はうすちゃいろのコーデュロイのネクタイをしている。
芝生にピントを合わせないまま白髪を西日のベンチで暮れるまでながめたい。
私たちは恋人でなくずっとこれからも何もないので白髪の金をみつけることはない。
伏し目がちに話す声を、目を閉じてずっと聞いていたい。目を合わせたくないけどすべてを感じていたい。先生は2年生を受け持っていて、3年生の私は授業を受けたことがない。
先生の現代文の音読が聞きたかった。演劇部の後輩と3人で準備室で話した。
眠れない女の子が黒い羊に手が届かないという脚本を書いて演出して学校祭の体育館でバスケ部とバレー部を配分する緑色の網はちゃんと結わえられた状態で公演した。私は才能がなくて引用が多すぎて絶望していた。先生はそんな公演を褒めてくれた。嘘だと思った。大抵のことがそうであるみたいにそれは嘘だと思った。
「全然よくないんです」って泣いてしまっても先生は何度も何度もよかったと言ってくれた。

職員室前の緑色の公衆電話の受話器を落とす。廊下が中庭の光で透明みたいに見える。イヤホンをして緑道を歩いて風が強くてバスに乗る。

不可思議/wonderboyくんに初めて会ったのはモリマサ公が西荻窪で開いたイベントでのオープンマイクだった。猫道くんとも三角みづ紀さんとも初対面だった。
猫道くんの紹介でワンダーくんからメールがきて、
コンピレーションアルバム「言葉がなければ可能性はない」に参加することになった。
 
レコーディングは2009年6月。ワンダーくんの実家で行うことになり、当日は1時間くらい西武新宿線に乗って、茶畑の街に向かった。くもっていた。
降りたらワンダーくんがにこにこ笑って立っていて、ちゃんと話すのはじめてなのにぜんぜん緊張しなかった。横断歩道がなくて、車の人に手で合図して車を止めて、道路を渡った。

ワンダーくんの部屋に入ったら、村上春樹がたくさんあった。
わたしは当時録音環境がなくて、こんな機会めったにないので4曲録ってもらってそこからワンダーくんに収録曲を選んでもらうことにした。だいたい一発録りだったのでそんなにかからなかった。
「世界征服やめた」のデモを聴かせてもらった。
終わってダイニングテーブルで、美味しいサンドイッチをごちそうになった。
ワンダーくんには「ねこ」と呼ばれていて、ご家族には「チロル」と呼ばれているねこがかわいかった。
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トイレには日本地図が貼ってあった。家族写真がたくさん飾ってあった。帰り、駅まで送ってくれて、一人暮らしがしたいんですよーーーとか話してた。

猫道くんのイベントで、サラリーマンのスーツを着たワンダーくんが、カウンターの一番奥でビールを飲んでいた。

「満足せよ」という主に詩人がふたりでコラボするイベントを当時、守山ダダマさんが主催していて、ワンダーくんと共演することになった。きっかけはワンダーくんに「銀河鉄道の夜」をとても好きだと伝えて、ともちゃんに女の子のパートをリーディングしてもらいたいなんて話をミクシィでしていたこと。それをダダマさんに伝えていたことだ。
そして、わたしが「タイム」という詩を中二と言われることを(9さいだが…)おそれながらミクシィに投稿したら、ワンダーくんが真っ先に褒めてくれたことだ。
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実家も201号室だしね、と言っていた。

初めての打ち合わせのときはワンダーくんが書き溜めた大学ノートを渡され、ともちゃんにそのままあげてもいいとか言われて、そんな大切なもの自分で持ってて的なやりとりをした記憶が…

ダサいラップのわたしパートのリリックはワンダーくんがわたしの道産子ぶりをリサーチして書いてくれたもの。
「先生、あのね」はわたしが最初リミックスしたものがあまりにも短くて、ワンダーくんがふくらまして、わたしが読む振り分けをしたもの。
「タイム」はワンダーくんがリミックスした短編小説みたいに仕上げてくれたものをわたしが読む振り分けをしてリズムを出したもの。
「銀河鉄道の夜」はわたしもラップを練習していたがそれがいまいち笑だったのもあり、ポエトリーリーディングになった。わたしがリーディングしているところで流れているピアノの曲は新宿でスタジオに入ったあと、二人でタワレコに寄ってワンダーくんが買った「空気人形」のサントラ。

ワンダーくんは緊張?とかに弱くて、前日めちゃくちゃ体調を崩して、出られないかもという連絡がきて、一人で出演する覚悟もしていたんだけど、当日ちゃんと二人でスタジオに入って万全に臨むことができた。
ライブは当時、ポエトリーリーディングでのライブがちょっと怖くて(音楽ユニットでソプラノリコーダーを吹いたりはしていた)ライブほとんどしてなかったわたしの固定観念が吹っ飛ぶくらい、演劇をやっていたあの舞台が発光する瞬間を思い出すくらい、楽しかった。

模索舎でのイシダユーリちゃんとのライブがものすごくすばらしく、終わったあとワンダーくんもユーリちゃんも帰ったのに、初対面に近いみなさんとカラオケに行った。
だいすきな「ハナミズキ」を歌ったらとても褒めてくれた人、たぶん藤本九六介さんなんだけど、ご本人に確認していないなそういえば。


3.11が起こった。

さいごにワンダーくんに会ったのはベンズカフェで、わたしが眉毛の整え方に悩みすぎてへんな形にしてたら「どうしたの?!」と言われた。
そのとき6月24日のグレープフルーツムーンでのライブに、ぬくみりゑちゃんとのコンビ「腐乱ちゃんと恨乱ちゃん」

で出ないかとふんわり誘ってもらったけど、恨乱ちゃんことぬくみりゑちゃんが子を授かったばかりで安定期に入る前だったのでおことわりした。


さいごのやりとりはメールだった。 
『ともちゃん、新曲で、ともちゃんの「手の中の液晶を信じて」 ってフレーズを使わせて欲しいんだけどいいかな?(>_<)』
って来て 
『いいよー てか光栄ですばい』 
って返した。



汗だくのまま、夏の喪服の試着をした。西武新宿線に乗った。ぬくみちゃんと途中の駅で合流した。
お通夜は妹さんの提案でずっとワンダーくんのMVとライブ映像がずっと流れていて、さいごに、顔をみるのを待っているとき「ポエトリーリーディングは鳴り止まないっ」が流れて言葉が濁流みたいで頭の中ぎゅうぎゅうになってそれからずっとおかしいんじゃないかってくらい泣いた。
ぬくみちゃんとずっと黙って寿司を食べた。

今回アルバム出るの真っ先に本気で喜んで、めっちゃ聴き込んでくれる人。
亡くなってしまうとおしゃべりができないことだけ、かなしい。
けどつながってる感じはずっとしてるんだよなあ。

まだあるかもしれないんですが、今年かかわった映像をのせたいと思います。


ホルモン鉄道「玄関」のPV募集に参加したものです。とにかくいちばんさいしょにアップしようと思ったので必死でつくりました。最初のシーンの黒猫がどうみても神なのが気に入ってます。
わたしが泣いているシーンはこの東京ガスのおばあちゃんのCMを観ています。

ピューロランドに行ったときにピーポくんの着ぐるみがいて撮っていたのもラッキーでした。なんかつらい時期で鳩を追いかける映像を撮りまくってました。
後半のハチワレの猫はわたしのツイッター等を見ていたらおなじみの大家さんちの猫、ニャイくん
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でかなり主演男優賞な気がします。サムネにもした電車の中で絵を描いてる子は朗読コンビ「腐乱ちゃんと恨乱ちゃん」をやっている詩人ぬくみりゑの娘です。

ぬくみりゑの娘には「エレクトロピカ」でピアノを弾く赤ちゃんとしても出てもらっていておっきくなるのはやいなあと思ってます。



LOW HIGH WHO?のラッパーMotifさんのMVに出演しました。わたしがいい歳の取り方をしていることを監督のParanelさんに教えてもらって、完成した映像を観て、自分が色っぽくて驚きました。うれしかった。

 
ある日詩人のもりくんからLINEがきて、馬野ミキさんがPVを撮ってもらいたいとブログに書いているときき、いつか撮りたいかもなあの背中をもりくんに押してもらって実現したものです。いいほうの人の巻き込みをしてけんかもして(主にわたしがミキさんの発言に怒ってみんなが見守る)、完成したら、観た人からよかったとたくさん言ってもらえたからほんとよかったなあって思ってます。最後の庭でもりくんとミキさんが踊ってるみたいなシーンが手ぶれとかすごいけど、どこも死んでないと思えるシーンがワンカットで撮れたのが、お気に入りです。


ともちゃん9さいとspanとしてのラストソングです。2008年、ガラケー(W53CA)で撮ってた写真を撮った順に並べました。2008年のフォルダにはレコーディングに行ったときのワンダーくんの実家の猫ちゃんもいてなつかしーってなりましたが、PVには入れていないです。
これは自分はつくってるときせつなくて、心臓が神経症になってしまったかもくるしいと思いながらつくったんですが、観る人にはどううつるかわからないです。恋が終わったからせつなくてくるしいんじゃないとは思っていました。思い出を並べて、みやすいように色を変えて音に合わせて長さを調整することはせつなかったです。でもそれが本質ではなくそれよりも、思い出がその撮った写真のみ書き換わってしまうくらい前になってしまって、ただ美しく感じられることがかなしかったのかもしれない。わかんない。けどつくれてよかったです。
後半のspanくんが出てくる団地のシーンは、北海道のママとばあちゃんの実家を引き払う片づけが終わったときの映像で、猫道くんが作・演出してくれた「ともちゃん38さい」にも出てきたシーンです。この団地にはわたしは住んだことないんだけど、何回か訪問したときはいっつもくもってる印象だったのにこの日は晴れていました。

遠足























二階の窓からみてる
箱にとらののらねこがうずまってねてる
ちいさい海が砂時計のまんなかみたいにきらきらしてる
沢で茶色いのらいぬがしんだときく
もう少し毎日の学習を解いていたい

晩ごはんによばれて
宗八の焼いたのと
煮物と
大根と人参をほそくきった味噌汁と
甘い玉子焼きと
たくあんと
ごはんを食べる

石炭で沸かした風呂に入る

布団の中で
手を顔に見立てて
物語をつくって
いつのまにか寝る




現代詩フォーラム
 

きょうっていうかきのう、めちゃめちゃたのしかったんだけど、宇多田ヒカルの言葉がずっと気になってて、
帰って、家のコンピュータースクリーンのなかでやっと読んだ。
わたしのお母さんも心の病のふかいところにずっといて、ずっと入院しているので、状況は似てて、
けどうちのお母さんは生きてくれている。

むかし書いたミクシィ日記を転載する。

「うただひかるといっき」2005年10月29日00:19

今日郵便受けを開けたらチラシだらけのなかにお母さんの手紙があった。

智ちゃんへ
ママは辛いけど がんばるから 智ちゃんも ガンバッテネ!

智ちゃん、返事、ちょうだいネ!

字はうすくて小さくて、線が何行もあまっていた。わたしの住所は他の人の字(看護士の字と思われる)だった。電話をしたら「調子がわるい」と言って一分くらいで切れた。担当医と話した。わたしを安心させる言葉がずっと流れた。ハガキを買いに行って返事を書いたらいきなり書いたから変な文章になった。赤いポストに投函した。明日から公開の春の雪はお母さんの好きな三島由紀夫原作だからどう思うのだろうと思っている。それを知ったとき少し泣いた。わたしは何故だかいつも三島由紀夫の何かに触れると泣いてしまう。お母さんがまだ元気だった大学時代の大学の図書館の芸術新潮の三島由紀夫特集の写真を何気にながめていたら急にたまらなくなって図書館のトイレで泣いてしまったのが最初だ。そして三島由紀夫の顔は見るたび、うちの死んだじいちゃん、お母さんのお父さんに似ているな、と思う。じいちゃんはわたしが四歳のときガンで死んだ。がりがりになったじいちゃんがわたしにのばした手がこわくてにぎれなかったのを未だに気にしてる。だからかわたしはだれかと手をつなぐのもしばらくにがてだった。宇多田ヒカルが明日公開の春の雪の主題歌をあああ
あああ、とうたう。

うちのお母さんは生きてくれている。

ある意味かわいいので、きょうも3さいながく生きちゃった
結果は死んでみないとわからない
葬式でかけてくれが口ぐせ
エンディングテーマが表面張力あふれてるコップの水の映像がきれい
のどがなる夏はまださき

墓場までもっていくひみつをわすれちゃうから
ドロップボックスで管理
ばれて悔やまれてエゴサーチのアルファベット3文字ををうしろからのぞく半透明がわたし
やがて自然にかえるやさしい素材でできている

はらきりがない世の中
「もはや平和ではない」とロックしたいのにポエム書いている
ペットのヤモリに「笑っていいとも!」とは名づけなかった
メスなのにタモリちゃん
だから平和ではないんだよ

ぱっと見わからない細かい傷がついていて低評価つくのがわたし
ノークレームノーリターン
地下鉄のいたずらな爆風
篠崎愛の生地になりたい

「きみのことすきなんだ」っていったくらいたしかな濃密なバブル
LUSHの前とおりすぎて鼻
そんなつよいものじゃない放置したばけつじゃない手あれぱっくりわれじゃない
バイトつらい
目をとじなくても思い出の曲がり角の地方銀行浮かんできえる
となりのラーメン屋さんでにんにくラーメンたべようね
あしたやすみうれしい
新宿西口のむずかしいところで泣きじゃくる大人がわたしのししゅう
階段かけあがれば友だちが声をからしてうたってる

まだ死なないでねしゃべってね
ここまで生きたから(できたから)シールはっつけてとくいげうれしいね
まだ死なないでしゃべってね
この際生きているか死んでいるかなんてどっちでもいいからいっぱいしゃべろうね
一致は気にしなくていい

鏡とツイッターをみない一日は午後の庭のひかりのはやさですぎる
わたしから荷物がとどく
夜ねむれない
ひかりつづけるのは手の中じゃなくて顔

貧血治してくれてありがとうあなた
おもたい鉄のフライパンでつくるやさいいため
関係ないとわらう

目の前の壁がレースのカーテンのよう
むこうがわがあるから
能年玲奈になりますようにと毎晩おほしさまに願って
朝体重をはかりしるしをつける

きみのくちびるずっとなめてたい
一致したい
ゆびでなぞる
ゆびで
そんな思い出はない

せつない男の子ばっかり
せつない男の子ばか
胸ぺったんこTシャツ男の子ばか

ある評論家がへどを吐く色づかいの思い出なんかない

子どものころのからだのよわさはせいしんのよわさからきていたとおもう。
いっつもへんとうせんをはらして、目があついとうったえて、他のものがたべられないからむいてもらったリンゴばかりたべて、
教育テレビをみて、胸にたっぷりヴィックスヴェポラップをぬられて、夜ぜんそくがでて、ねむれなくて、
背中のところを高くしてもねむれなくて、正座してねていた。

よわさというより甘えか。甘えたさか。
だからか、小児科に行って、診断されるまで、うそをついている気持ちだったし、
いつかうそをついていることがばれるのではないかとおそれていた。ばれてしまいたい気持ちもあったとおもう。
罪の意識から解放されて楽になりたかった。
小児科の先生は子どもにはやさしいけど、お母さんにはきびしかった。よく他のお母さんが先生におこられて泣いていた。
うちのお母さんは泣いてなかったとおもう。

おねしょがなおって、ぜったいわたしには耐えられない、むりだとおもった(死という概念があったら、死と表現したにちがいない)小学校は、
あんがい平気で、勉強だけが楽しくて、勉強と先生にしか興味がなくて、誰よりもはやく登校した。

ぜんそくがなおって、へんとうせんもめったにはれなくなって、自分以外の、特に年がちかい人間の存在に気づいて、ときどき学校をやすんで、
勉強に興味がなくなって、テレビばかりみて、生理がきて、英語塾をさぼって、隣の席の男子が好きになって、転校して、
深夜ラジオをききすぎてラジカセをかくされて、中学生になった。

国語の教科書に北杜夫の「百蛾譜」がのっていた。
からだのよわい少年とその夢の話で、わたしはこれを読んだから、子どものころに親しみを抱くことができるようになったのかもしれない。

わたしは(も)病気に親しみを抱いていた。






風邪をぶりかえして寝込んでます。まあそんな時期なんだろうとおもうが、きょうオープンマイクにエントリーしていたのに、
キャンセルしてしまったので、そんな時期なんだろうじゃないだろうともおもう。
出会いとか、期待とか、ひとつふたつみっつ消えちゃったなあとおもったり、くやしい。
もしわたしに会いたい人がいてくださったら、それ、ごめんなさい。

治ったら、ちゃんとノートに書きたい。これからのこととか、言葉にしていないことをたくさんノートに書きたい。

きくちかなこちゃん優勝おめでとう。
モリマサ前をむいていて、まぶしい感じした。おたんじょうびおめでとう。

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